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『日本軍「山西残留」――国共内戦に翻弄された山下少尉の戦後』に対する評、感想
宇賀平氏(高知大学講師)

『日本軍「山西残留」』、一気に読了しました。

当時の錯綜した政治・軍事状況、特に閻を中心とする中国側、第一軍内部について証言も挟みながら、たいへん整理された叙述により緊迫した情勢の変化が非常にリアルに伝わってきました。厖大な史料、文献を読み解かれ、このような労作に纏めあげられた労苦に敬意を表する次第です。

山下氏の証言は、最初埋没気味に感じましたが、読み進むうちに客観的であると同時に臨場感、想像力を刺激する記述により、山下氏の証言が凄く生々しく感じられるようになりました。山下氏の歩んだ、歩まざるを得なかった道、掘り下げるとさまざまなファクター、複雑な要因が存在していると思いますが、稜線と山脈の関係と云いますか、どっしりとした存在感ある山並が迫ってくるようです。

『蟻の兵隊』も読みましたが、これはこれで読む価値のあるものですが、一人の人間が生きた背後にある歴史の厚さ、重みのようなものを貴兄のものからはひしひしと感じました。

やはり一番印象に残ったのは、「山西残留事件は╍╍╍過去の出来事ということではなく、未解決の問題を多く残したまま現在に至っている事件であることを改めて強調しておきたい」という部分です。

本書もこのために編まれたと思いますが、無謀な軍命令によって多くの若者が青春と生命を捧げ、結句裁判に至った経過を考えると、軍命問題をこえて、皇軍につながる、私たちが今生きる日本という国家を告発しているように感じました。国家はもちろん、社会も日本軍の体質を基本的に引き摺っているように思います。

これからはますます困難だと思いますが、当事者の証言を通した皇軍の行動の解明は、歴史的事実を明らかにすると共に、今を理解し未来を考える上でも重要だと考えます。そうした点からも貴兄の作業は意義ある貴重な取り組みと受け止めました。

本当にありがとうございました。

インターネットで「山西残留」を検索しましたら、貴兄のものも含め、いろいろありますね。これからもときどき確認してみようと思っています。
今後のご活躍を心より祈念しております。
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『日本軍「山西残留」――国共内戦に翻弄された山下少尉の戦後』に対する評、感想
仙波藤吾氏(山下正男氏と同様、山西残留、抑留を経て帰国)

『日本軍「山西残留」』有難く拝読させて頂きます。この大冊に私たちが駆け抜けてきた山西残留事件の隠れたる本質を改めて解明することが出来るものと思っています。

日本国憲法が公布されたのは1946年11月、日本は大陸から兵士をすみやかに母国に帰還させる国際的義務を完了させる任務があった筈でした。命令と服従にさいなまれた兵士は、敗戦をよろこび、父母のもとに戻る日をまちこがれたものでした。

私が敗戦を迎えたのは山西省襄垣県。無線通信手であった私は、誰よりも早く敗戦を知りました。その朝部隊の副官やらが通信班に来て、天皇の詔勅を聞いたものでした。

布川246大隊の撤退がはじまるとともに、通信隊の軍鳩は全部殺されました。部隊長の山羊も豚も殺されました。首都太原への逃亡者のような行軍が連日続きました。

途中、沁県では大激戦のあとで、解放軍や民兵の死骸が城外を埋め、それを処理することがありました。

太谷では全員が集められ、第一次帰国者の規準が報告されました。①病人であること ②家に妻子をもっている者 ③家系を継ぐ者 等だったと存じます。

私は健康であり、五男であることから、除外でした。

残留の理由は、残った者が帰国者を鉄路で安全に送るために「護路隊」を組織するが、任務が終れば次は「お前たち」の帰国だというわけである。

中国解放軍の進撃の前に第二次はなくなり、軍司令部と山西軍のあいだの密約なのか特務団が編成されていった。

私は第6団要員として中国人(山西軍)の教育に派遣されました。当時、日本軍の特務機関(名を変えて資源調査社)から無線手の要請があって、第6団から出向の形で参加したのでした。

仕事は、晋冀魯予辺区、太行軍区等の中共軍の電報を窃取して解読することであった。中国側は梁化之、日本側は持田国福で、20人ほどが便衣を着て、情報を得る者、無線傍受に携わる者と分かれて、太原城内に事務所をかまえていた。

急速な解放軍の攻撃で太原は四面楚歌。もはや運命尽く。もっとも恐れたのは、特務分子として捕われること。慌てふためいて太原から逃亡。私が第6団にいたときの中隊長田中竹夫(戦死)の要請で第1団に行くことになり、日本刀(自慢の新古刀)を置いて飛行機で逃げていった。1948年10月だった。

その月の末、私は太原東の四畝吃塔で解放軍の捕虜となった。

このあとは山下氏と同じ道すじを歩んだのであり、いずれ機会があればと存じます

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『日本軍「山西残留」――国共内戦に翻弄された山下少尉の戦後』に対する評、感想
奥村和一氏(映画『蟻の兵隊』の主人公。山西残留訴訟代表世話人)

本日御労作の『日本軍「山西残留」』を有難く拝受致しました。

かねて池谷監督からお話を伺っておりましたが、山下正男君著と勘違いしておりました。

昨日ようやく発送を終わった造部隊晋西会の報告には、
「西陵の会小俣佐夫郎副会長の『残留』(自家本)に次いで、山下正男会長の書籍も近く岩波書店から出版の予定と聞く。「山西残留の真相」を大衆の中により浸透させる弾丸として、より多くの人に普及あらん事を望みます。」
と書き送ったばかりでした。

中国山西省档案館も『二戦後侵華日軍“山西残留”』1~3巻(2700頁)を出版するなど、最早「闇に葬る」事は出来なくなりました。

続いて裁判を目指しておりますが、国家賠償法に依る外なく、同法施行(昭和22、10、29)後に於ける残留部隊と日本政府の関係(太原連絡班(山岡ら)の帰国は昭和23、5、澄田の帰国は昭和24、2)、GHQを含む証拠を最終的にどの程度集め得るかに掛かっていると考えております。

勿論、賠償を求めるものではなく、残留は軍命によるとの事実を認定させることにあります。
“潮時だ”“これ以上は無理、矛を収めては”との多くの助言を頂いております。よしそれが「巨大な風車に立ち向かうドン・キホーテ」であっても、これはロマンと考えています。ロマンのない人生がないように。

お守り頂ければ幸に存じ上げます。
右御礼旁々御健闘、御健康を祈念申し上げます。

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『日本軍「山西残留」――国共内戦に翻弄された山下少尉の戦後』に対する評、感想
桑山正道氏(フォイエルバッハ哲学研究家)

先日御恵送の御高著を拝受いたしました。ありがとうございます。

私は昨秋打撲で眼底出血、片目なので、ペンが定まりません。乱筆お許し下さい。

私はまだ全部を通読しておりませんが、史実としてまことに貴重、中国在留軍について初めて知りました。さすがにプロの御労作,感嘆しております。

山下氏、私より一月後輩、私も商業出身、応召は私の方が先で18年12月、同世代として生活も人生体験も似ているようです。

あなたが中国生まれと知り、御労作と関係なきにしもあらずでしょうか。

私は海軍でしたが、旅順港に半年おり、同地の予備学生教育部でしぼられました。最後は木更津基地でしたが、そこで兄と最後の別れ(20年3月9日午前10時頃)をしました。兄は一言も最後を口にせず、私もそれを察知できず見送りました。目はくぼみ、顔面やせて死相歴然でしたが、まさか別れに来たとは思いませんでした。帰郷後、遺書が届いており、泣きました。

私も紙一重で命がたもたれ運よく帰れましたが。(空母信濃でペナンに行くため門司で待機していましたが、沈没して乗れませんでした。)

木更津では第三次丹作戦に出撃の銀行24機、特攻出撃を見送り、前夜の隊員たち72名の忍び泣きの声が生涯耳から離れません。

私は戦後小樽商業の恩師と出会い、哲学を志しました。御高著の山下さんも同じような道を歩まれたのでしょうか。――私は今85年間を振り返り、今まで生きてこれたのは、ただただ無数の人の無数の情けによるものと感じて感謝しております。そして唯一の後悔は、この無数の恩人に何一つ恩返しをしなかったことでした。たまたま出会ったこの時代の戦争。無数の人たちの犠牲の原因は何か? 私には政治宗教の重要な働きを感じ、それに生涯物心をあげて取り組みました。そして天命を感じております。

長い間御厚情をたまわり、まことにありがとうございました。これからもお元気でおすごしくださいますようお祈りいたします。

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『日本軍「山西残留」――国共内戦に翻弄された山下少尉の戦後』に対する評、感想
戸川芳郎氏(東方学会理事長・東京大学名誉教授・中国思想史)

『日本軍「山西残留」』拝受。いっきに読了。

山西省地図と人名索引をくりながら、実に興味ぶかく、60年の中国研究を確かめながら、オーラル・ヒストリーを愉しみました。

懐かしい双塔寺の写真や河本大作の供述を読んでいて、1981年、木山英雄氏と太原から同蒲線を南へ北へ一周した時のこと、繰り返し思いおこしています。

日中戦争に対する一つの見方が、やっと落ちついた感じです。とくに近現代アジア史を学ぶ者の必読の書の一に加えたく思います。

藤堂明保氏の従軍記を復元したくなりました。
東方学界へ毎木曜出勤しています。お目にかかりたく。
192ページの「筆者」は米濱さんのコトですね! 人名索引に加うべし。

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『日本軍「山西残留」――国共内戦に翻弄された山下少尉の戦後』に対する評、感想
田中博明氏(ギリシャ古典学)

夏ツバキが朝に花を付け、夕方には散り落ちる候となりました。夏の到来を予感いたします。

このたびは御高著『日本軍「山西残留」』を御恵与たまわり、まことにありがとうございました。二度くり返し拝読いたしましたが、周到な力作と存じます。中国史のゆるがぬ研究書・文献と私には思われました。いわゆる啓蒙書ではなく、純然たる学問書であります。伏して敬意を表する次第です。
“日中戦争外篇”と称すべき研究書だと思われます。

興味深く拝読いたしました。私にとっては、いわゆる「聞き書」ではありませんでした。「屋下に屋を架すことにはならない」研究文献と思われます。力作と書いた所以です。

「当時の中国の政治状況や国際情勢」については、全く素養や知識のない私ではありますけど、読読感は、以上の感想に尽きます。

ページに「╍╍╍本書においては普通の文章体に改めたが、山下氏の語った部分は【 】で示した」とありますが、この処理法は、米濱さんの歴史記述に正当性を付し、かつ研究書の性格を強めたように思われます。賢明な措置と思われます。

依然として“ふたつの中国”である現在、広く読まれるべき書と存じます。

論の展開にも、参考文献を付置し、心にくいばかりの歴史記述となっております。

ランケ以後、歴史が瑣末になり、いわゆる科学的歴史叙述が学界の流行となっておりますが、その流行はむしろ現代の悪弊となっていると、私には思われます。

米濱さんの御本はそれに対する頂門の一針ではないでしょうか? この方法的自覚は、『史記』を始めとする中国の正史やトウキュディデスを範とする、少なくとも3000年を閲するヨーロッパの歴史書に通底する意識と存じます。

すばらしい歴史書、歴史叙述と敬意を表する所以であります。

お礼までにて失礼します。力作です。

(字が書けないので、以下とりとめもないことを書き付けます。失礼をお許し下さい。)
  • 河本大作、名前しか知らなかったけど、とてもおもしろかった。
  • 御著を丸山真男氏にみせたかったと思いました。
  • 閻錫山、存在感があり、とてもおもしろかった。ルネサンス期の傭兵隊長みたいです。
  • 「三大規律・八項注意」の歌、聴けば思い出すかもしれません。
  • “太原”にかかわる叙述、光彩陸離たるもので、とてもおもしろかった。みごとな叙述です。
  • 『河本大作与日軍山西「残留」』、お訳しになってはいかがでしょう。
  • 第6章「証言」の項、とても考えさせられました。
  • とにかく、おもしろかった。山下さんにもくれぐれもよろしくお伝え下さいますように。
  • 研究態度に舌を巻きました。すごい。

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『日本軍「山西残留」――国共内戦に翻弄された山下少尉の戦後』に対する評、感想
岡村繁氏(九州大学名誉教授・中国文学)

今般は最近御公刊の大冊『日本軍「山西残留」』第一刷を小生にまで早速御恵贈下さいまして、毎々の御懇情洵に難有く厚く御礼申し上げます。

早速拝読にかかりましたところ、山下少尉は奇しくも小生より一歳年下の大正12年生まれ、ほとんど小生と同世代ですので、当時の時代の推移が昨日のように生き生きと蘇り、而も同じ甲種幹部候補生として入隊しましたので、当時が手にとるように分かりました。米濱さんの大変な御苦心のお蔭で、驚くばかりに当時の状況が丹念に記載されておりまして、其の歯切れのよい叙事文に助けられ、大層よく理解させて頂きました。

それにしても日本軍の「山西残留」の詳細な経緯は始めて知ることばかりで吃驚しております。
只今まで息もつかず、御文章に引き込まれるように読みついでまいりましたが、このままでは御礼状が遅れるばかりになってしまいますので、一寸小休止、この御礼状をしたためて居るところです。本当に絶好の名著を頂戴しまして、ありがとうございました。

又、米濱さんが山東省芝罘のお生まれとのこと初めて存じ上げました。道理で中国の文化や歴史に御興味のある所以がよく分かりました。

まずは取り急ぎ御礼まで如上。

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『日本軍「山西残留」――国共内戦に翻弄された山下少尉の戦後』に対する評、感想
浦部信義氏(編集者。大学講師)

ご高著お送りくださいましてありがとうございます。大変な力作にして大著ですね。敬服いたします。早速拝見いたします。

余談ですが、私は1950年代の末頃、私塾のようなところで(たしか日ソ協会主催だったと思うのですが)、2,3年間ロシア語を勉強しました。例によってモノにはなりませんでしたが、その時の先生が山岡少将でした。もうお歳でしたから、78ページの似顔絵よりも痩せておられましたが、面影はよく残っていました。先生は帝国軍人としては小柄な方で、160センチとちょっといった身長で、痩せ型の方でした。

笑顔のやさしいおだやかな先生で、コンパのような席では学生と一緒にカチューシャなどのロシア民謡を歌っていました。みんなで一緒にピクニックに行った記憶があります。

いつだったか先生のお宅にお邪魔したら、陸軍正装の先生がスターリン(ひょっとするとモロトフだったかも)と握手している写真が飾ってあり、びっくりしたことを覚えています。

生活は楽ではなかったようで、奥様がタバコ屋をやっておられました。山岡先生のお名前に貴著で出会えるとは。

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『日本軍「山西残留」――国共内戦に翻弄された山下少尉の戦後』に対する評、感想
角尾隆信氏(弁護士)

『山西残留』拝読いたしました。たいへんすぐれたノンフィクションです。
早速私の読後感を思いつくまま書いてみます。

1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し無条件降伏、全戦線(満洲を除いて)にわたって戦闘は停止、武器はすべて放棄されたものと、私たちは思っていました。ところが中国においては、ゆうに百万を超える軍隊が完全武装のまま居残っていたという事実は全くの驚きでした。まして山西省に2600名残留して共産軍と闘っていたなどは、「蟻の兵隊」について知るまで全く論外でした。

『蟻の兵隊』なる著書はまだ読んでいません。

『山西残留』は、山下正男という、普通ならば幸せに一銀行員として過ごせたであろう一青年が、時代の潮流に流され、思いもかけぬ数奇な運命に弄ばれてしまった人生を描きながら、彼をこのような濁流のなかにまきこんでしまった将軍たちの卑劣な醜い無責任な行動を、克明な事実にもとづいて摘発しているように思います。

本書を読み終わってまず感ずるのは、第一軍司令官澄田、同参謀長山岡らの無責任きわまる行動です。

彼らが、宮崎参謀のように、勇をふるって、身をもって直接閻錫山と交渉し、ポ宣言受諾後、日本軍を武装のまま残存し、閻の私兵として使用するなどはポ宣言に違反し、国際法上もとうてい認められないことを強く主張し、場合によっては連合軍司令部ならびに蒋総統にも問題にすると言い渡し、直ちに一兵残らず祖国日本に送還の手続きをとるべきことを約束させ実行させるべきであった、と思うのは私ひとりではないでしょう。

ところが、将軍たちは閻による戦犯指定の報復をおそれ、姑息というのか、ゴマカシにゴマカシを重ねて、閻の策謀に加担し、結局は山下らの多くの悲劇を招いた。なかに戦死した人たちも何百名かいる。万死に値すべき罪科である。

しかも、澄田といい、山岡といい、残留者を残したまま自分たちはゆうゆうと日本に帰還して、おそらくは高額の軍人恩給をもらって暮らしていたのだろう。

これらの将軍は、いずれも陸士、陸大を出てエリート中のエリートとしてその地位を誇っていたのである。

私は図らずも、戦争末期、フィリッピン司令官だった陸軍中将富永恭次が戦線急を告げんとするや、いちはやく台湾の安全地帯に遁走したことを思い出した。

noblesse obligeという言葉があるが、地位にふさわしい責任、誇り、自負という意味のようですが、こういう将軍たちにはこの一片もない。

せめて帰国後、国会の証人として、2600名残留について、軍命令があったことを当事者として明白に証言すべきであった。それが唯一の罪ほろぼしでもあったと考えられるのに、真実を述べず、身の保全に終始したのは何とも醜い卑劣な姿であった。

本書は別名『将軍たちのみにくい犯罪』と題してもよいようだと、ひとり合点で思います。
読みながら、色々の人物が出てくるので興味深く感じました。

城野宏は丸山真男の東大同期でひとしく南原教授の教えをうけながら、どこで読み誤ったのか、あたら才能をあやまった方向につかい、人生の歯並みを狂わせた。あわれむべきか。

河本大作は張作霖爆殺事件の主犯としてのみしか知らなかったのですが、この方面も暗躍していたのかとはじめて知りましたが、彼は彼なりに責任を感じて故国には帰らず、この点はさきの将軍に比べてまだましというべきか、と思います。

今村方策は、今村均将軍の弟とかはじめて知りましたが、今村均は戦犯で死刑判決とありましたが、戦後復員し、部下にかわって南方の島で労役に服したとかの記事を読んだ覚えがあります。武人としては立派なものだと思っていました。

書きつらねれば限りもありませんが、とりあえずこのていどとして、山下氏のこれからの実り豊かな人生の歩みを願って止みません。

最後に、この事件の最終責任者として岡村総軍司令官の問題もあると思います。松井岩根が絞首刑に処せられたのと何という違いがあるのでしょうか。

しかも、岡村らは澄田とともに、平和憲法のもとで、台湾に義勇軍を結成して送ろうとする陰謀を実行しようとしていたとは、彼らこそ真犯人ではないでしょうか。

長くなりました。またそのうち。

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『日本軍「山西残留」――国共内戦に翻弄された山下少尉の戦後』に対する評、感想
宮坂英朋氏(編集者。著者の先輩)

 岩波の辞典部にいた宮坂です。先日、竹内好春さんが米濱さんの新著『日本軍山西残留』をおくってくれました。重いテーマに襟を正し、さっそく読み始め、読み進めるほどに吸い込まれ、いっきに読了しました。専門家にむかって失礼とは思いますが、素人にも分かりやすく問題を整理され、ていねいに、深く、客観的に記述されていて、実にいい仕事をされたというのが第一番の感想です。

 ここ一週間は『山西残留』を縦から眺め横から眺めて過ごしました。登場する人物が多いので山下少尉を見失い、頭からその採録部分に付箋をはってまとめて読み直したりしました。これは私の感性に問題ありで、今は記述に濃度を加える存在として光っております。

さて、山西残留はあれだけ徹底的に敗れた戦争の中では信じられないような事件ですが、しかしいろいろな要因がむすびついて引き起こされ、帰趨次第ではもっと大きな混乱と犠牲を生じていたのだと知りました。

徹底的に戦って、うちのめされ、新しい日本が生まれたという捉え方に立てば、北支那方面軍の司令官、参謀、一部将兵、居留民らは徹底的に戦わず、したがって打ちのめされず、それゆえ自己を過信し、時代を読みあやまり、弾き飛ばされたのだと思います。戦後の澄田らの国際義勇軍の目論見など、笑うに笑えない出来事です。

それにしても山西残留から何か得たものはないだろうか。『山西残留』を読んでいて、ぐっと胸に来る場面があります。「前川手記」の描く宮崎・山岡の対決は、宮崎の迫力に圧されます。今村をふくめ人材ありの感を深くします。別の意味で、河本大作の「供述書」や城野宏の「日本人の立場」は、なかなか読ませます。

山下少尉の「坦白」は陰謀、解放軍との戦争、抑留、帰国を生き抜いた人間の大事な証言として、これこそ山西から得たものだと思います。ここには戦後の民主主義に連なるものが生まれています。山西残留は狂熱であったにしても、そのあぶくの中から山下少尉は生まれ変わるのだと思います。
最後に「「軍命はなかった」か」。本書執筆の主眼の一つは当然ここにあるわけで、筆者は克明に事実を追っています。読者としてこの問題をどう受け止めるか、私たちは今その地点に立っています。
「オーラル・ヒストリー企画」を知り、さっそくのぞき見しております。

この著作につぎ込まれたエネルギーの大きさを思い、その誕生をともに喜びます。ご自愛ください。

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『日本軍「山西残留」――国共内戦に翻弄された山下少尉の戦後』に対する評、感想
則松久夫氏(評論家)

日本軍「山西残留」を読んで

さすが著者は元岩波書店の名編集員だけあってよく調べてある。この大作を、米浜氏の熱気の溢れる筆力に惹かれ短時日で拝読した。

世に伝えられている「あらすじ」としては200文字に納まるシナリオであるが、その行間に1巻に及ぶこれほどの事実が内包されている、そしてそれらの事実が時間と共に風化されそうになっていることを感じさせられた。

今更嘆いても仕様が無いことだが、あと20年早く犠牲者達のプロパガンダとしての書物や映画がより大きく取り上げられていたら、と思う。それにしても山下氏の「後になって分かったことですが」になんとも言えない無力感を感ずる。

戦争というものにナンセンスはつき物で、戦中、軍の司令官が大切な兵隊を粗末にした話は、ノモンハン事件やインパール作戦等のように数多ある。

多大な犠牲を残し、反省は残さずぬくぬくと戦後寿命をまっとうし厚かましい弁明書まで残した恥知らずの将官として牟田口中将とこの澄田中将が最右翼と思われる。これが陸大のトップ卒業というから恐れ入る。昭和11年、時の文部大臣平生釟三郎が寺内寿一陸軍大臣に「幼年学校を廃止すべし、幼少時よりの偏向教育の弊害は恐ろしい」と進言するが、時既に遅しではあるものの真理ではある。
しかし澄田の場合は、自己の戦犯回避の代償行為をやるという、根本的な良心、人間性の欠落そのものの問題ではなかろうか。全軍把握を怠り戦後、脳天気に「私のあしあと」を書くとは何をか況や。閻錫山が謀り、澄田が脅され、山岡、三浦等の将官が追随し、岩田、城野等が踊ったこのあらすじの中でやはり最重要であり罪過を問われるのは最高指揮官の澄田司令官の良識の無さである。私は河本大作はやはり日中戦争の起爆剤となった罪多き人物で、張作霖事件後も陸軍の手厚い保護で生きた点、まったく是としないが、山西省に残留して山西産業の部下を棄てて逃げなかった点は澄田よりマシである。私の知人・故T氏は岩松中将のころ、捕虜・閻錫山との第一軍通訳を勤め、終戦前に、山西産業に身を転じ大倉商事の面々と商売をやっていた。生前、この問題についてお聴きしたかった。

この本の中で驚いたのは地方に日本の残留部隊を「隠匿」した事実だ。
また、今村方策は忠実に動いたが、やはり司令官に謀られた事実を知り無念の思いで自殺しているが、たしかにこの男と宮崎参謀との接点があればこうはならなかったろうと思われる。

 最後に、僭越ながら、本著の優れている点、印象に残る部分を列挙させて戴く。
  1. シナリオの背景にある政治、軍事情勢の資料の調査がよく出来ており、読者の理解を助けてくれる。また貴重な写真が多く陳列されている。
  2. 登場人物のエピソードに岡村と何応欽の関係等初めて聴く事実が多かった。
  3. 主要人物情報を個人ごとに整理し理解しやすくしてある。(73~95頁)
  4. 閻錫山の立場、焦り、謀略が詳しく説明されている。読後感として、澄田より一枚役者が上だ、謀る奴より謀られる奴の方が悪い。
  5. 特務団26百人の隠匿、これがハイライトの一つと思われる。これを日本軍トップが見逃すのは不作為犯である。
  6. 大戦の参加者も八十歳を越えて毎年少なくなっていく。生き証人がいなくなって来たが、山下少尉は最後の証人の一人であろう。本著の刊行は滑り込みセーフの感あり。
 最後に、著者は岩波の勤務にあって他人の著作の編集ばかりやってこられたが、その間培われた資料収集能力がこの著作によく結集されており、また文章も感情に溺れない品格が保たれている。編集のプロだけあって誤謬も皆無のようだ。今後とも、さらに色んな歴史ドキュメンタリーに取り組まれ力作をものにされるようご精進を祈る。

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『日本軍「山西残留」――国共内戦に翻弄された山下少尉の戦後』に対する評、感想
中目威博氏(新潟産業大学名誉教授)

 著者の米濱さんは元岩波書店の著名編集員である。二高の同窓・葉山達雄の伝記などの出版で、愚生は米濱さんに大変お世話になった。 
 
 さてオーラル・ヒストリー(oral history)とは、歴史研究のために関係者から直接話を聞き取り、記録としてまとめることである。当事者にインタービューすることで、文献からは分からないことが様々に知られるようになる。特に現代史の研究者の間で1990年代以降、オーラル・ヒストリーが注目されるようになり、組織的な取り組みが行われている。
 
 米濱さんのこの著書はオーラル・ヒストリーのトライとしても注目に値する。流石に岩波に長年お務めのこともあってか、この本は大成功と思われる。山下正男少尉の生々しい証言は読む者をしてあの時代を彷彿とさせる。一語千金と評しても過言ではなかろう。これらを記録して下さった著者には感謝の念に満たされる。
 
 米濱さんは同時に詳しい、正確な当時の歴史的背景を記述された。彼の文章には感情に溺れない品格が保たれている。貴重な写真を多く転載しているのも本書の特色の一つであろう。
 
 山西省の日本軍は戦後4年もの間、国民党と共産党の内戦に投入された。その後約5年戦犯収容所に入れられる。この歴史は風化しつつある。著者がこの本を準備している2007年に池谷薫氏による映画と同名の著書「蟻の兵隊」が世に出たが、米濱さんは本書のまえがきで「拙著が屋下に屋を架することにならないように」と書かれているが、何の何の、それどころか、この本は「錦上に花を添える」ものだ。
 
 本書には人名索引が付いている。事項索引があるともっと便利だが。
 著者がさらなる歴史ドキュメンタリーの力作に取り組まれるようご精進を祈る。
(「酔怪大師の放言」121回に掲載)

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